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【2025/07/19 08:26 】 |

佐々木先生

本日、新居のカギをとりに新居の近くにある

不動産屋さんまで行ってきました。

ぼくの担当の営業の人は、てんやわんやだったので、

とりあえず、カギだけいただいてごあいさつ。

そのあと、新居に行ってきて、

とりあえずの家具の配置などを想像したり。


今までの一人暮らしの部屋が

あまりにも狭いとこばっかりだったから、

広くなってしまって、

逆にものを置きたくない。

とか言って、結局、ものであふれるんだろうな。



最近、ユニコーンが再結成した。

中学校のある時期、とある人の影響で、

ほんの少し、好きだったころがある。

そのとある人とは、中学校1年生のときの

国語の先生の佐々木先生だ。

残念ながら、ぼくが中学2年になるころには、

学校をやめてしまった。

理由はわからないが、一身上の都合らしい。

「一身上」という言葉を知ったのも、

佐々木先生のお別れのスピーチがはじめてた。

彼は、ぼくがいた部活の顧問だったんだけど、

全く、顧問らしいことはせず、

部活の練習に来ては3年生の連中とだべっていた。

1年生のときは、いつか僕らも先生とだべるときが

来るのかなあ、なんて、球拾いしながら思ったものだ。

彼は、他の教師とは、なんだか違うオーラを放ち、

どこかひねくれたところのある人だった。

特段、話がうまいわけでもなかったと思うが、

おもしろい先生だったし、

彼が学校をやめていなかったら、

僕もその後の人生で、そんなにひねくれずに育ったのではないだろうか。

(彼の後任のやつと僕らはとても仲が悪い。最後は喧嘩して部活やめました)

そんな彼が、好きだったバンドがユニコーンであり、

奥田民生が好きな彼だった。

3年生が最後の大会で負けて、引退となった日の

帰りのバスん中で、先生はユニコーンを歌った。

(ちなみに、そのバスん中で、本間先輩という先輩は、

 トレイントレインをうたっていた。バスなのに。。。)

今、彼はどこで何をやっているか、きっと誰も知らないが、

教材会社に就職し、一度だけ中学校に訪れていたのを覚えている。

彼が先生をやっていたのが、確か、彼が26歳のとき。

ちょうど、ぼくも26になった。

彼は起こると黒板消しを投げ、教室から出ていく。

ぼくも、そんな気持ちがわかる歳になったのだろうか。




ユニコーン / 大迷惑

 懐かしい。

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【2009/02/22 21:14 】 | 未選択 | 有難いご意見(0) | トラックバック()

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